いつの時代にも、さまざまなタイプのリーダーがいた。権威主義的なリーダーもいたし、民主的なリーダーもいた。学校は、民間企業などに比べると、比較的フラットな社会であると言われており、そこでのリーダーシップのあり方は、まだ確立されたものはないようにも思える。
我が国の学校における、学校リーダーがリーダーシップを発揮しやすい環境を整えようとする動きはあった。2000年の「学校教育法施行規則」の一部改正による職員会議の法的位置付けが規定されるなどの法改正だ。
現状で、日本の学校リーダーは望ましい方向に変わってきているでしょうか?
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4/03/2022
PLC便り 2022年4月2日配信「パートナーシップに根ざしたリーダーの時代」
2/06/2022
PLC便り 2022.2.6 「成長のサイクル:現状を正しく知ること」
今年度も、1年間の振り返りをする時期が近づいてきた。
私の授業ジャーナルにも、たくさんのストーリーが貯まってきている。声を上げて、その成功を喜びたいものもある反面、とても困難で、解決策が見出せないように思えるものもある。悔しいことに、ここ数年毎年似たような課題で格闘している。進歩がない。
ただ、成果であれ、課題であれ、それらに思いを巡らすことは、心踊ることでもある。来年度の教室の様子を思い浮かべることができるからだ。より良い方法や新しいことを教室で試すことができるからだ。また、悩ましくも、ワクワクする日々が始まる。
あらゆる実践が、いわゆるPDCAのサイクルで行われることは、今や常識的なことになってきた。計画も見通しもなく、教科書の1ページ目から始めるといったことは、少なくなったし、年度末には振り返りや反省、省察の機会を設けている人も増えてきただろう。
1/24/2022
1日の振り返りの問い
Martin Selingmanという人が提案するPERMAという問いかけ。充実した1日だったのか、振り返る時に自分に投げかけるといい。
• How positive was my day?
• How engaged was I?
• How healthy were my relationships?
• How meaningful were my activities?
• What did I accomplish?
1/02/2022
PLC便り 2022.1 「日本の学校の新しい夜明けを ー 教員が学び続ける学校であるために」
12/05/2021
PLC便り 2021年12月5日 「学校を協働の学びの場に」
学校には「ハック」(意図的に手を加えて、より良いものにつくりかえること)すべきことがたくさんあります。★1
なかでも、ハッキングの必要度が高いものは「校内研修」ではないでしょうか。みなさん、これまでの校内研修で、主体的に、意欲的に、深く学んだという実感はありますか?それとも、押し付けられた、強制された、仕方なく「つきあった」程度の関わり方でしたか?
教員の学びについて研究している研究者は、「よい研修というのは本質的、意図的で、日常に根づいていて、体系的なもののはずである」★2 と述べています。参加する意味を感じられず、学校現場とはかけ離れた内容の、質の低い研修を押し付けられているというのが、実態なのだと思います。同書はさらに、「背景、経験、興味、環境、能力に関係なく、教師は既製品のように標準化された教員研修を押し付けられています。(略)教師は、工場で大量生産をおこなっているロボットのように扱われています。そこには、協働も、すぐれた実践の共有も、組織のビジョンや目標の達成もありません。」と実に手厳しい。
では、どのような学びの場が教師にとって必要なのか。同書の筆者らは、「個人的な「パッション・プロジェクト(★3 PLC便り 2021年5月2日)」や協働的な学びの機会こそが、教育界における未来の教員研修であると確信しています」と述べています。
11/21/2021
PLC便り 2021年11月21日 新刊案内『学校のリーダーシップをハックするー変えるのはあなた』
ジョー・サンフォリポ&トニー・シナシス(飯村寧史、長崎政浩、武内流加、吉田新一郎訳) (2021) 『学校のリーダーシップをハックするー変えるのはあなた』新評論.
10/03/2021
PLC便り 2021年10月3日 「学校の物語を語ろう 〜「ストーリーテリング」の力〜」
高校の世界史の先生はストーリーテラーでした。ジンギスカーンを語れば、黒板の右から左へ、馬に乗って砂漠をかける姿が目に浮かんできました。ワクワクしました。時空を超える感覚というのでしょうか。その時のワクワクした気持ちが、私を教職に向かわせたと言っても過言ではありません。今でも、夕闇迫る教室の光景を鮮烈に覚えています。
ストーリーの力は強力です。マーサ・ラッシュも『退屈な授業をぶっ飛ばせ』★1で、ストーリーテリングにまるごと一章を割いているくらいですから。彼女は、物語の力を力説するストーリーテリング研究者の言葉を数多く引用しています:
「口頭によるストーリーテリングは、人間文化の中で最強のコミュニケーションの形と言っても良いだろう。(p.61)」(ウエイン州立大学クレイグ・ローニー)
「教材が、「覚えることリスト」のようにきっちりと整理され、凝縮された事実だけになってしまったら、生徒は学ぼうしとしなくなるだろう(p.73)」(ジョージア・サザン大学ディローレス・リストン)
ストーリーテリングが、人の心を揺り動かし、人を行動に誘う力をもっていることが、とてもよく表現されていると思いませんか。
10/01/2021
教員給与の裁判に裁判長が異例の苦言(提言)
教員の時間外労働に賃金が払われないのは違法であるとして訴えた裁判の判決。請求は棄却されたらしいけれど、裁判長は異例の意見を付記したとのこと。
政治も行政も、働き方改革をやっているように「見せかけ」てはいるけれど、まだまだ本気度は見えない。多くの人が、教員とはそんなものと思っているフシがある。
司法が、公正かつ、力強く、このような提言をすることは、一歩前に進むきっかけになるかもしれない。
この判決に関する記事:
https://news.yahoo.co.jp/articles/d3f698a5abb81248256db0cbe9c3ef54ee7d592b
裁判長による「まとめ」の全文は以下の通り:
「以上のとおり、原告には、労基法37条に基づく時間外労働の割増賃金請求権がなく、また、本件校長の職務命令に国賠法上の違法性が認められないから、その余の点を判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないといわなければならない。 なお、本件事案の性質に鑑みて、付言するに、本件訴訟で顕(あらわ)れた原告の勤務実態のほか、証拠として提出された各種調査の結果や文献等を見ると、現在のわが国における教育現場の実情としては、多くの教育職員が、学校長の職務命令などから一定の時間外勤務に従事せざるを得ない状況にあり、給料月額4パーセントの割合による教職調整額の支給を定めた給特法は、もはや教育現場の実情に適合していないのではないかとの思いを抱かざるを得ず、原告が本件訴訟を通じて、この問題を社会に提議したことは意義があるものと考える。わが国の将来を担う児童生徒の教育を今一層充実したものとするためにも、現場の教育職員の意見に真摯(しんし)に耳を傾け、働き方改革による教育職員の業務の削減を行い、勤務実態に即した適正給与の支給のために、勤務時間の管理システムの整備や給特法を含めた給与体系の見直しなどを早急に進め、教育現場の勤務環境の改善が図られることを切に望むものである。」9/05/2021
PLC便り 2021年9月6日 「「子どもたちが主人公」は実現しているか」
「学校は子どもたちが主人公」。かなり使い古されたフレーズですが、日本中の多くの学校がかかげているスローガンです。とても共感できるものですし、ぜひ、そのような哲学のもとで、学校づくりを進めていってほしいと思います。
しかし、このような標語が頻繁に出てくるということは、未だに学校では、多くのことが「教師中心で回っている」ことの裏返しなのかもしれません。
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PLC便り 2021年9月6日
PLCは、Professional Learning Community(プロの教師集団として学び続けるコミュニティとしての学校)の略です。それこそが、授業改善や学校改善のカギということで名づけました。「学校・授業改善」や「教師こそが学び続ける学校づくり」をテーマにした情報をこのブログ(=メルマガ)で提供しています。
8/01/2021
PLC便り 2021年8月1日 「学校リーダーのあるべき姿:リード・ラーナー」
学校が学び続ける組織であるために、学校リーダーはどのような存在であるべきなのでしょうか。
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PLC便り https://projectbetterschool.blogspot.com
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6/20/2021
PLC便り 2021年6月20日 学校のマインドセットを変える
初めて教壇に立った日のことを覚えていますか。少し高揚した気分を胸に、校門をくぐった日のことです。これから起きるであろう、少年や少女たちとの様々なエピソードに胸をときめかせていました。彼ら彼女らの成長を見つめ、一緒に歩めることに、心躍らせていたのです。
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5/02/2021
PLC便り 2021年5月2日 パッション・プロジェクト –大人も情熱を注げるプロジェクト–
2005年にアップルのCEOスティーブ・ジョブズは、スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチ★1 で、"Stay hungry, Stay foolish"と呼びかけました。直訳すれば「貪欲であれ、愚か者であれ」という意味ですが、ジョブズが言いたかったことは、「現状に満足するな、常識にとらわれるな」ということでしょう。自分自身の心や直感を信じて、真に情熱を注げるものに打ち込めというメッセージに、多くの人が心を動かされました。
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PLC便り https://projectbetterschool.blogspot.com
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4/06/2021
オードリー・タンに学ぶ「強い対立」と「しなやかな対応」
そこで、辻元さんが、台湾のデジタル担当相オードリー・タンさんとの交流から学んだという、このようなデマや誹謗中傷へのしなやかな対応を仕方が紹介されています:
「辻元氏:デマに対してユーモアを交えて反論することの大切さは、つい先日オンラインでお話しした台湾デジタル担当相のオードリー・タンさんから学びました。デマを強く否定すると反発を招きかねないので、台湾当局はデマを見つけたら、人々の心に届くようにユーモアを交えて正しい情報を発信しているそうです。」
自分の感情を納得させるだけか、相手を納得させるかの違いでしょうか。結局、意図した結果が得られているのは、しなやかな対応の方なのですよね。
「辻元議員vs米歌手、トランプ氏も黙らせるネット言論規制の賛否」
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00261/040500005/?n_cid=nbpnb_mled_mpu
4/04/2021
PLC便り 2021年4月4日 ソーシャルメディア(SNS)は学校にとって脅威か福音か
文部科学省が「#教師のバトンプロジェクト」なるものを始めた。タイトルの最初にある#(ハッシュタグ)を見れば(分かる人には)分かる通り、Twitter上で進行するプロジェクトだ。★1
Twitterのページには、「現場で日々奮闘する現職の教師、教職を目指す方々の皆さんで、学校の働き方改革や新しい教育実践の事例、学校にまつわる日常を遠く離れた教師、ベテラン教師から若い教師に、現職の教師から教師を目指す方々に、学校の未来に向けてのバトンを繋ぐためのプロジェクトです。」とある。
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PLC便り https://projectbetterschool.blogspot.com
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2/18/2021
優秀な教員は良いメンターだろうか?
昨日のコミュニティー・スクール運営協議会で、学校の働き方改革のことも話題になった。
メンター制度を取り入れて、教員相互のメンタリングを始めたとのことだった。教員の大量退職の時代を迎え、初任者など若年教員が増えることも背景にあるようだ。メンタリングを取り上げたことは良かったと思う。ただし、運用というか、メンタリング趣旨を正しく伝えることが重要になりそうだ。従来の若手ーベテランの関係性の中での成長とは少し異なる考え方になると思われるからだ。
この話をした時、同じく運営協議会のメンバーで地域で大きなスーパーマーケットを経営している方から興味深い発言があった:
「力のある社員に、若手の指導を任せたところ、たくさんの若手が仕事をやめた。」
とのこと。
これと同じことが学校でも起こっているのではないかと思った。力のあるスーパー・ティーチャーが必ずしも、若年教員の良きメンターではないかもしれないからだ。
はっきりは分からないけれど、経験即で言えば、ある一つの方法を教え込むといったアプローチではうまくいかないのかもしれない。それよりも、本人の意欲や主体性を引き出し、自分自身で新しい方法を見つけるように仕向けていくことが必要なのかもしれない。
2/01/2021
基礎学力不足の生徒に失敗の上塗りをさせていないか?
学力に深刻な問題を抱える生徒に対しては、まずは基礎基本を徹底的に繰り返して、身につけさせるべきだとの主張は根強い。
高等学校の「つなぎ教材」(中高接続学習の教材)などには、その傾向が強いように感じた。いきおい、中学校英語の文法の復習のような問題集を与えることが多かった。
果たして、これで良かったのか。中学校時代の失敗の上塗りをさせるだけになっていないか?そのような問題意識をずっともってきた。
『退屈な授業をぶっ飛ばせ!: 学びに熱中する教室』★でも指摘されているが、教師は学力に課題がある生徒には基礎的なドリルを繰り返し続ける以外にないと思ってしまいがちだ。本当はそのような生徒たちにこそ、夢中になれるような学びが必要なのだけれど。一部、引用しておく:
「サーラ・ファインは、この問題について教師たちと議論を続けてきた。そこで明らかになったことは、より主体的に学べる課題が与えられれば、低学力の生徒でもよく学べるという数多くの事例があるにも関わらず、学校や教師たちの多くは、来る日も来る日も、生徒たちに基礎基本を覚えるためのドリル的学習を課し続けているという事実であった。
生徒たちは、これが終わったら、もっと楽しい学習に進むと繰り返し聞かされている。でも、そのような日は決して訪れない。
結局、生徒たちは、そのような学習を続けることに幻滅し、学ぶことをやめ、多くの場合、中途退学してしまうのである。ワクワクするような学びを一度も経験することなく。」p.27
中学校までに、身につけられなかったことを押し込むのではなく、身につけることができたものを、生かすことのできる方法からスタートできないだろうか。
★マーサ・ラッシュ著/長﨑政浩・吉田新一郎訳 (2020) 『退屈な授業をぶっ飛ばせ!: 学びに熱中する教室』新評論
1/25/2021
良いテスト作成者
他教科のことには口をはさまないこと。同一教科であっても、他の人の授業には口を挟まない。不文律のように学校に残ってきた文化だ。いまだに、声高に唱える人がいることは、驚いてしまう。[さらに驚くことは、自分の学校の授業をあまり見ようとしない校長がいることだけど。]
おいおい!我々は誰のためにこの仕事をやっているんだ。生徒のためだったら、同僚にも堂々と主張しようではないか。
正論だ。でも、自分自身の仕事や作品に批判的なコメントをされることをよろこぶ人はいない。それがいかに建設的なコメントであってもだ。正論とはやっかいなものだ。
外国語のテストに関する本に、「よい問題作成者の資質とは、自分が書いた項目の正当な批判を受け入れる用意があることだ。」★とある。見事!
最近「炎上」ということばが流行っている。批判を恐れては口をつぐむしかない、そんな風潮かもしれない。
批判を受け入れることのできる器量。それこそが、真の賢明さだと思うが、どうだろう。
★Arthur Hughes (2003) Testing for language teachers, Cambridge University Press. p. 58, 日本語訳は根岸雅史氏による。
58ページ近辺には見当たらず、たぶん発行年が違うのでページ番号も移動したのだろう。以下の記述が該当していそう。teamworkという言葉が印象的。批判する人、意見が異なる人を、排除したり、黙らせるのが、最近の社会の恐ろしい風潮だからね。
“The writing of successful items (in the broadest sense, including, for example, the setting of writing tasks) is extremely difficult. No one can expect to be able consistently to produce perfect items. Some items will have to be rejected, others reworked. The best way to identify items that have to be improved or abandoned is through teamwork. Colleagues must really try to find fault; and despite the seemingly inevitable emotional attachment that item writers develop to items that they have created, they must be open to, and ready to accept, the criticisms that are offered to them. Good personal relations are a desirable quality in any test writing team.”
Hughes, 1990 p.51
12/26/2020
「WW/RW便り」に「プチ探究活動結果報告」掲載
「WW/RW便り」に「プチ探究活動結果報告「なぜ、今日の日本人が『鬼滅の刃』に魅せられたのか」が掲載されました。大真面目に、このようなことを書いたのがちょっぴり気恥ずかしくもありますが、このことを考えた日々があまりに面白かったので。。。
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「プチ探究活動結果報告「なぜ、今日の日本人が『鬼滅の刃』に魅せられたのか」
10月初旬、山間部にあるK小学校を訪れました。子どもたちに英語の絵本の読み聞かせをする訪問授業でした。子どもたちの感性のみずみずしさ、大人とは異なる本の評価や捉え方など、実に興味深い発見のあった訪問でした。
実は、この訪問がきっかけで考え続けているいることがあるのです。
訪問の日、教室に入ると子どもたちは全員黒板に向かって漫画の絵を描いていました。全員同じ漫画です。夢中で描き続けているのです。すごい熱気でした。担任の先生が、「キメツばかりですよ。」と苦笑いをしていたのを覚えています。
「キメツ」?その時は何のことか分からなかった。その直後、16日に「鬼滅の刃」という映画が封切られ、大ブームを巻き起こしました。日本映画の興行収入の記録も塗り替える勢いだそうです。それで、気づいたのです。あの子たちはこれを描いていたのかと。黒と緑の市松模様の少年や竹を加えた少女はこれだったのかと。また、ある会合で、「今年のマイブーム」を尋ねられた友人の整形外科医のK氏も「とにかく鬼滅にハマった。こんなことは人生初だ。」とまで言うのです。
なぜこれほど子どもたちの心を捉えるのか、知りたいと思いました。なぜ、日本中の子どもから大人までこのアニメに魅せられるか。職業的関心から、その要因を知りたいと思いました。今の日本の世相(パラダイム)や雰囲気、価値観の揺らぎみたいなものを知る上で、とても気になるテーマだと思ったのです。背景には、ずっと苦手だと思ってきた、ストーリーテリングのこともあります。どのような物語をどのように語るのが、人を惹きつけるのかという点でもです。
まず、我が家は Amazon Primeでビデオを見ることができるので、「鬼滅の刃」を見てみようと思いました。10話くらい見ました。
結構驚きました。最初は、意味が分からなかった。家族を鬼に惨殺された少年が、鬼退治をするという単純なストーリです。しかも、暴力的なシーンが結構過激。首は飛ぶし、真っ赤な血が吹き出す(鬼を退治できるのは特別な剣で首を飛ばす必要があるらしい)。こんなもの小学生に見せていいのかと思うくらい(R12指定がついている)。「残虐」といえばそうなのです。
ここまで見ても、僕にはどうしても理解できませんでした。不思議でした。
大学生に意見を聞いてみようと思いました。いろいろな答えがありました。なるほどなあと思えるものもあった(最近はアニメオタクのような大学生が多い)。学生諸君の意見で、一番印象に残ったのは、残虐性の背後にある人間性、やさしさみたいなものに心動くという意見でした。
ついに、TVアニメ版は全編制覇。次の日には映画館にも足を運んで「無限列車編」も観ました。さらには、何と単行本も購入(紙の本は入手困難とのことでKindle版)、ついに全編読了です。
ネット上にも様々な論考、論説が溢れています。「大のおとなが、たかが漫画にこれほど本気になるのか!?」と、驚くばかりだったのですが、いつの間にか夢中になってしまっていたのです。もう一つのアニメブームといった言葉では語れない現象となってしまっている。
全体としては、単純な冒険活劇で、アニメらしい馬鹿馬鹿しさもある中で、時折、ホロリとさせるところがある。それが日本人を惹きつけるのではないか。それが、僕の中での結論です。登場する鬼は、もとは人間なんですが、鬼殺隊(主人公たちが属している)によって首をはねられた鬼は、断末魔の叫びの中で、人間だったときのことを思い出すのです。それに主人公の炭次郎は理解を示して、手厚く葬ってやろうとする。なんだか心に響くのです。
子どもの虐待など日本人が鬼畜と化してしまったのではないかと思うほどのニュースをよく目にします。政治も誠実とは言い難く、本質とは離れたところで動いている人たちが多い。そして、コロナ禍。長期にわたる不況。暗い世相が長く続いている。純粋で、真っ直ぐな思いやひたむきな情熱。そんなものを日本人は渇望しているのかもしれない。そんな渇きを潤してくれたのが、「鬼滅の刃」だったのかもしれません。
学校訪問時の小学生の熱狂から端を発した、僕のプチ探究活動は、ひとまず完結。
この物語について考えたのは、実に楽しいひと時でした。締め切りがあって、調べたわけでもない。きちんとした裏付けやエビデンスを集めたわけでもない。「なぜだろう?」という思いにまかせて、いろいろな人の考察を読んだり、考え続けてきただけでした。どうしても知りたかった。それだけでした。
[おまけ]
以下、プチ探究活動「なぜ、今日の日本人が『鬼滅の刃』に魅せられたのか」について、自分なりに得たことを書き出してみました。
1. 分かりやすい勧善懲悪(鬼退治)と明確なゴール(禰󠄀豆子を人間に戻す)
2. メインのストーリーの背後にある物語への同情や共感。鬼にならざるをえなかった、人間の悲しいストーリーが、対決シーンの中や断末魔の瞬間に挿入される。そのタイミングも絶妙。(それを生み出した社会への怒り、理不尽さ、その人たちを鬼へと追い込んだ鬼畜と化した普通の人間)
3. 主人公(炭治郎)の前向きで、ひたむきかつ慈悲深いパーソナリティ(応援したくなる)。人を殺した(食った)鬼であっても、その死に当たって気持ちを寄せ、鬼も涙する。
4. 善悪の両者に引き裂かれた禰󠄀豆子の存在とその不思議な魅力(気をもむ存在だが、突然鬼としての強烈な力を発揮する)
5. 魅力的な仲間たちの存在(善逸、伊之助、柱ほか)。その若者たちが、切磋琢磨し成長する姿が描かれる。
6. おもいっきり単純化された登場人物のパーソナリティー。煉獄杏寿郎のように、主人公でない人物にも人気が集まっている。
7. なんだかおしゃれな容姿や小道具(花札のイアリング、髪型、ファッション、美形の男女、ちょっぴりセクシー)
8. 決まり文句にはまる(「全集中」「◯◯の型」など)。それに伴う感情の太い動き。
9. (明治、昭和に比べて)謎の大正時代の雰囲気が物語の背景にぴったり
10. 声優陣の実力が半端じゃない
★掲載先
WW/RW便りー新しい国語(読むこと/書くこと)の授業をつくる
12/23/2020
Fight Doで実感した「好きなこと」の意味
イオンのジムでFight Doという格闘技系のエクササイズをはじめて7年になる。ジムはサウナと風呂専用になるのではないかと思っていたので、予想外にはまって続いている。こんな感じ。
結構激しい。おかげで、体重は減り、体が疲れこともなくなった。フィジカルが充実すると、他のことにも意欲的になる。そして、何と言っても人間ドックの結果。警告の「*」マークが激減したのだ!ありがとう!
興味深いことに、インストラクターの言動も、職業的関心から見てしまう。エクササイズへの入り方や説明の仕方、環境づくりなど、意識して見ていると面白い。プロと思える人からは学ぶことはたくさんある。
・キツイことも嫌いじゃない。きついことも、達成感が伴い、大勢でやると、楽しい。プログラムによって、最後の最後に腕立て伏せがあったりする。実にきつい。みんな、いやそうな口ぶりであっても、結構、嬉々としてやっている。
・メンタル面の変化が身体も回復させる。体力的に厳しくなってきた場面で、うそのように復活するパターンが二つある。一つは、お気に入りの曲が使われるとき。もう一つは、好きなコンビネーション(ワンツーのパンチから、蹴りにつながるものなど)がある時。
・見られることは大切。あまり体調がよくなくて、だらだらやってしまう日もある。でも、インストラクターが近づくと気合が入る。
全部、授業に当てはまるのでは!
